マンガ感想諸々

散歩圏内にマンガ喫茶が出来たこともあり、この1年くらい「このマンガがすごい」等を参考にして話題作を読むようにしてきたが、「このマンガがすごい」はそうすごくはないなと言うのが率直な感想だ。
当然のことながら、社会人になってからは読むマンガの量がぐっと減ってしまったが、あらゆる淘汰を経て私の元にたどり着いた作品はやはりそれだけの質があった。
年をとって感性が鈍っただけかも知れないが、それでも近年の作品の中にも「おおきく振りかぶって」「HUNTER×HUNTER」「のだめカンタービレ」「鋼の錬金術師」のようなオールタイムな傑作群もあるのだから、やはりどちらかと言うと作品の側の問題だと思う。
おおきく振りかぶって」あたりを基準に据えれば、他の作品の大部分は魂が震えるほどは凄くはないということだ。そういう作品は数年に一作出れば良いのかも知れず、そのあたりの作品を「標準」に据えること自体が無謀なのかも知れないが。
今回はなかなか論評する機会がない、「最高傑作ではないがまあ良い作品」について短評を並べてみる。

ラストイニング
原作:神尾龍、監修:加藤潔、作画:中原裕
週刊ビッグコミックスピリッツ小学館)連載

書店での扱い等を見るとどういう訳か、そう人気があるマンガでもないようだが、近年の「高校野球マンガ」としては一番面白い(「おおきく振りかぶって」は「高校野球マンガ」と認識している)。つけた後に気づいたのだが、このブログの名前と題が似ているし。
マネージメントの視点から高校野球を描いているが、これがリアル、と言うのとはまたちょっと違うだろう。いかにもマンガ、な単純化や脚色も多いから、実際のマネージメントの現場から見ればリアルからはかけ離れているだろう。
しかしそれも含めてマンガ、であり、手垢がついた高校野球マンガに「おおきく振りかぶって」とはまた違った切り口を持ち込んだ功績は大きい。

最強!都立あおい坂高校野球部
田中トモユキ
週刊少年サンデー小学館)連載

これも野球マンガだが、こちらは王道の少年野球マンガである。小学館講談社の漫画賞をそれぞれ少年部門で受賞しているが、「いかにも」な王道マンガでありながら、その王道性を徹底しているがゆえに玄人受けもしているようだ。主人公の能力や環境はおよそ現実的ではないのだが、突き抜けるようなパワーがそこにはある。この作品が連載されていた時には「週刊少年サンデー」には「MAJOR(メジャー)」と並んで二作品、野球物が掲載されていた。読者の支持は「MAJOR」の方が大きかったかも知れないが、スカッとした少年マンガを読みたいならば本作の方だろう。
私は甲子園大会出場決定までは一気に読んだ。それ以後は基本的には展開は同じだろうと思って読んでいない。

ダイヤのA
寺嶋裕二
週刊少年マガジン講談社)連載

ついでに高校野球マンガをもうひとつ、ということで、これはなかなか描かれることが無かった「名門私立強豪校野球部」を描いている。少年マンガにおける高校野球は、「おおきく振りかぶって」「ラストイニング」「最強!都立あおい坂高校野球部」は典型的だが、弱小野球部が甲子園出場を目指すというところに根本のドラマ性を置いている例が多い。
敵役的にしか描かれてこなかった強豪校にも、それなりの青春があるはずなのだが、この作品は主人公こそいかにも王道熱血主人公なのだが、強豪校の青春を描いているところは貴重である。逆に言えば「おおきく振りかぶって」やこの作品のように、従来とは切り口を変えたところにしか高校野球を描く余地はもはやないのかも知れず、それだけにその「難題」に真正面にぶつかった「最強!都立あおい坂高校野球部」の玄人受けがいいのかも知れない(ある意味、「おおきく振りかぶって」効果の正の影響を受けたのが本作であるならば、負の影響を受けた作品が「あおい坂」かも知れない)。
寺嶋氏の画風はとにかく格好いい。やはり絵が上手いというのは、マンガ家の重要な才能のひとつだと思う。

バクマン。
原作・大場つぐみ、作画・小畑健
週刊少年ジャンプ集英社)連載

週刊少年ジャンプの営業的にどうなのよというくらい、いわゆるジャンプシステムの詳細情報が積み込まれているが、リアリティからは程遠い。リアルは細部のみに宿るのではない好例であり、それは逆に言えばこの作品が少年マンガとして成立していればこそである。
既に作品時間では約5年か6年くらい経過しているのだろうと思うが、「私たちは愛し合っているし付き合っているけれど、お互いに夢を叶えるまで会わないでおきましょうね」という生殺し状態を中高生が5年も6年も耐えられるだろうか。あり得ない。
そのあり得ないところが少年マンガなのである。
バクマン。」を読んでいると主人公の空虚さの問題を思わずにはいられない。人はむしろ光にではなく影に深みや共感を覚えるが、太陽には影は出来ないのだ。「HUNTER×HUNTER」でも一番人気があるキャラクターが主人公のゴンではなくキルアだというのも、同様の問題を内包している。少年マンガは光を描くものであり、影に軸足を移していったならば、果たしてそれが週刊少年ジャンプに相応しい作品になるのかどうか。
この作品は今後そのあたりが問われてくるように思う。

高校球児ザワさん
三島衛里子
週刊ビッグコミックスピリッツ小学館)連載

女性の高校野球部員である「ザワさん」の日常を描いた日常マンガである。時々、風刺めいた話もあるが、基本的には「変わり者の女子高校生の日常生活を描いたマンガ」と思えばそう大きくは外さない。
「あー、あるある」ネタ系のマンガ(ただし設定は特殊)であり、いわゆる高校野球マンガや、フェミニズム的なものを期待して読むのはたぶん間違っている。
この作品は2010年の「このマンガがすごい」のオトコ編第6位に入っているが、こういう小品系の作品は得てして見落とされやすいので、こういうものまでしっかり目配りされているのは凄いのかも知れないが、こうした息抜き系が第6位になるとなれば、果たして「このマンガがすごい」のアインデンティティとはなんだろうと考えてしまう。

ハトのおよめさん
ハグキ
月刊アフタヌーン講談社)連載

そう言えば「ザリガニ課長」はいつ連載が終わってしまったのだろう。
何年か前から「おお振り」目当てでアフタンーンを購読しているのだが、「おお振り」以外で一番好きな作品は「ACONY」。アフタヌーンはよく言えば個性が強い作品が多く、ストーリー物では「好き/嫌い」が極端に分かれてしまうのだが、その点、ギャグマンガはどれも粒ぞろいで面白い。
ハトのおよめさん」は連載開始以後もう11年になり、ようもまあこうもナンセンスでエキセントリックな爆笑を毎月毎月提供できるものだと感心している。

聖☆おにいさん
中村光
モーニング2講談社)連載

中村光には近年、「荒川アンダーザブリッジ」のヒットもあるが、たぶん今一番メインストリームを担う可能性が高い作家だと思う。彼女は21世紀の高橋留美子だろう(21世紀にも高橋先生は健在ではあるわけだが)。
聖☆おにいさん」はたぶんここに列挙するには相応しい作品ではなくて、「数年に一度の大傑作」に値する作品である。まあ、読んでみれば分かるが、ブッダが連載しているマンガのタイトルが「悟れ!! アナンダ!!」というような小ネタがいちいち可笑しい。
意外とキリスト教徒にも受けがいいみたいよ、これ。

君に届け
椎名軽穂
別冊マーガレット集英社)連載

既刊までは読んだ。非常に評判がいい作品だというのは知っている。しかしどうしてもネガティヴな感想しか持てない。これを読んではたと気づいたのだが、自分は少女マンガも好きだと思っていたのだが、少女マンガらしい少女マンガは好きではないのかも知れないと思った。
主人公の憧れの人、風早くんが現実離れして爽やか!である一方、いかにも少女特有の陰湿さやネガティヴな面をも「でもあたしたちって恋に一生懸命だよね!」と上手く丸め込むような、これまたいかにも少女らしいご都合主義(ストーリーではなく、メンタリティの)もあって、少女を性的対象と見ることに疲れてきた中年男性(それだけに猶予も持てなくなってきている)にとっては、女の嫌な部分ばかり見せられているように感じた。
しかし考えてみれば物語の作りはオーソドックスなむかしながらの少女マンガ、憧れの相手を爽やか系ではなく「ちょいワル」系にすればまるで「なかよし」に描いていた頃のあさぎり夕である。

ママはテンパリスト
東村アキコ
月刊コーラス(集英社)連載

育児マンガ。単行本では時系列順に収録されておらず、読みにくかった。どういう子供でも、育児にはそれなりのドラマがあり、それなりに面白いのだが、それだけにどれも同じという印象も逆にある。
過ぎ去ってゆく五月の風のよう。

となりの怪物くん
ろびこ
デザート(講談社)連載

「デザート」という雑誌はレディースコッミクかしらと思っていたら、むかしの「少女フレンド」の流れを引き継いだ雑誌だそうで、なぜ講談社はそのような雑誌を出すならば「少女フレンド」を残しておかなかったのか。
中高生少女向けのコメディとしては、雑誌のカラーにあっている作品なのだろう。
むかしの少女マンガには「心優しい不良のカレ」を愛でる系譜があって、この作品のカレである吉田春くんも一見その系譜につらなっているようであるが、「純粋で一本気であるがゆえに周囲との摩擦も多い」のも確かだが、その現れ方がアスペルガーが入っているのが現代風なのだろうか。
基本的に空気が読めなさ過ぎる。まさに怪物と呼ぶに相応しい。
これはあれだな、キングコングだな。巨大ゴリラを調教する「美女」の物語か。
主人公の水谷雫は「強がりでなく」勉強一筋の「低体温系」の少女。川原泉の作品から続いている「低体温系主人公」の系譜に位置づけられるのだが、「低体温系」の少女が恋愛をメインとした少女マンガで描かれると言うこと自体、「低体温性」を裏切っているとも言える。
つまり「低体温系」主人公たちの性格はある種の演技、武装であって、「私って低体温系だから」と自己規定する少女たちのアジールなり、自己欺瞞装置なりにこうしたマンガが機能しているということでもある。

夏目友人帳
緑川ゆき
LaLa(白泉社)連載

妖怪と人間の交流を扱った作品は、少女マンガでも今市子の「百鬼夜行抄」など他にもあるのだが、特殊能力を持っているが故の実害、生き難さを「夏目友人帳」はかなり徹底して描いている。この作品はオールタイムベストに入れられても不思議はないような出来栄えで、数々の傑作を世に出している白泉社のラインナップの中でも、ベストテンには入るような作品である。
この作品については既に多くの人が論評しているのだから言を重ねる必要もないと思う。

坂道のアポロン
小玉ユキ
月刊flowers小学館)連載

1960年代半ば、長崎県のおそらく佐世保あたりを舞台にした高校生たちの青春物語。主人公たちはおおよそ1945-1947年あたりの出生だと思われるのだが、生きていれば現在62、3歳というところだろうか。大和和紀が1975年に「はからさんが通る」を発表した時、ロシア革命は完全に遠い過去の歴史であったわけだが、「坂道のアポロン」の現代からの時間差も実は「はいからさんが通る」とそう違わない。
もちろん1960年代特有の社会的雰囲気はあるのだが、読者の多くは歴史性を忘却して読んでいるのではないか。それだけ、ロシア革命から70年代の間の距離に比較して、60年代から現代の距離が質的に離れていないということである。
逆に言えばこれを「近過去」の物語として描く必然がどこにあるのかということでもある。
現代よりはまだ濃厚に残っていた抑圧や差別、そうしたものをドラマ進行上の自然な契機とするうえで、近過去に舞台に置くのは有利ではあろうし、定年を迎えた世代が「自分たちの青春時代の物語」としてマンガを消費する環境が整ってきているという理由もあるのだろう。
敢えて「近過去」というより虚構性が強い舞台を持ってきていることからも分かるように、「今の私たちの気持ち」を描くより、もう少し突き放した、よりドラマ性を追求した物語になっている。
当時の社会の現実を描いていながらも、それが当時の問題であり私たちの問題ではない以上、実はかなり安全圏から書かれた虚構性が強い作品である。
キャンディ・キャンディ」のようなものである。こうした作品は純粋に物語として消費すれば良い。

PLUTO
原作・手塚治虫、作画・浦沢直樹
ビッグコミックオリジナル小学館)連載

私は正直言ってそんなにすごいとは感じなかった。浦沢直樹は「MONSTER」にしろ、「20世紀少年」にしろ、全然伏線をまとめきれていなくて、たいしてすごくはない話をものすごく意味ありげに描くことが出来る天才である。「なまえのないかいぶつ」なる小道具など、眩暈がするほどウキウキする。しかしこの人の作品はいつも最終的には泰山鳴動して、になってしまう。ある意味、良くも悪くもマンガ的なのだが、いつまでも、一応はきれいにまとまっていた「YAWARA!」が代表作ではいけないと思う。
PLUTO」もやはりそういう結果になってしまった、と私は思う。もう少し細部のリアリティを突き詰めてゆくべきなのではないか。天馬博士は神出鬼没だが、彼が移動する上でIDチェックはいったいどうなっているのか。わりあいご都合主義的なラストシーンとその種の細部のいい加減さは関係しているように思う。