女性の社会進出を促すための方策(1)

企業は営利組織であるから、全体として利益があるならば女性を積極的に雇用したがるはずであり、日本の現状でそうなっていないのだとしたら、それは女性を雇用する利益がない、もしくは不利益が利益を上回って存在するからである。従って、女性の社会進出を促そうとすれば、女性を雇用することが利益をもたらす、あるいは不利益を結果的に最小化するような構造を作ることが必要であって、それがない限り、問題は、女性の意識、男性の意識、企業の意識の問題としてとらえられ続けるだろう。意識の問題、すなわち精神論である。
現代日本の混迷の大本は、女性政策にあり、女性政策を論理的一貫性に欠ける行き当たりばったりのつぎはぎめいたその場しのぎの方法で取り扱ってきたことに起因している。女性を市民として扱うならば(つまりオンナ子供として扱わないならば)、市民化を徹底することが必要なのであって、「オンナ子供性」と両立させようという「どちらにもいい顔をする」態度は、単に市民化の不徹底であるのみならず、女性を市民として処理することを難しくするために、女性の社会進出を阻害し、女性に伴う生物的な要因である出産・育児についても、市民化・社会化を徹底させることができずに、オンナ子供の私的領域との重複が余儀なくされた。
専業主婦の存在の根本的な「邪悪性」は、その存在自体が女性の社会化、市民化を阻んでいることにある。それは女性の市民化の不徹底の結果であるのみならず、その根本の原因なのである。


(雇用する利益[m]-雇用する不利益[d])+(女性を雇用する利益[fm]-女性を雇用する不利益[fd])<(雇用する利益[m]-雇用する不利益[d])+(男性を雇用する利益[mm]-男性を雇用する不利益[md])
であるから、女性が雇用されない、女性の社会進出が進まないのである。よく、おそらく女性的自尊心の表れとして、女性は優秀なので積極的に企業が雇用したがっているというようなことを言う人がいるが、それが一般的な事例ならばそもそも就職における男女格差などないわけであって、労働者の専門性が極端に高くて供給に対して需要が多い場合、つまり雇用利益が圧倒的に高い場合に限られる。限定的な状況を一般の事例として語ることはできない。それは本来的に男女問題の話とは別の話である。
男女の問題として、女性性の社会的な不利益の問題としてこの問題をとらえるならば、男女のセックス、ジェンダーに焦点を合わせて語られなければならない。
上記の式に基づくならば、男女の雇用格差を失くす、イコールにするためには、大きく分けて4つの方途があることになる。
第一に女性を雇用する利益を増大させること。
第二に女性を雇用する不利益を減少させること。
第三に男性を雇用する利益を減少させること。
第四に男性を雇用する不利益を増大させること。
多くの場合、女性を雇用する不利益と男性を雇用する利益は直結している。
例えば、幼児を保育園に預けている共働き夫婦のケースで、子が熱を出して保育園から迎えに来るよう連絡があった場合、母親、つまり女性が迎えに行くケースが圧倒的に多いだろう。これは夫婦の間の意識の問題であると同時に、男性が仕事を簡単に抜けられないという傾向があるからである。しかし、本来、父親、母親と言う形で、男女にイーブンにかかるようなこうした負担でさえ、女性がより過剰に背負うということは、労働者として女性を雇用する企業にとっては、ジョーカーを引かされることと同じである。社会的な責務として企業がそうした負担を負うのはいいとしても、本来、父親である男性を雇用している企業と同程度に負担すべき負担が、母親である女性を雇用している企業に一方的に負担としてかかるわけで、これはつまりせっかく女性を雇用した企業に対して、マイナスのインセンティヴをあたえる結果につながっている。
この場合は夫婦の意識としても、社会政策としても男性を雇用する不利益を増大させなければ、女性を雇用する利益が増大せず、女性の社会進出が進まない。


しかしそうした社会政策による均等化について話す前に、そもそもジェンダーとしては処理できないセックスとしての、女性が社会進出をする上での有利不利をまず前提として考察してゆくべきだろう。次回はそれについて考えてみる。