女性の社会進出を促すための方策(2)

現在の定時出退勤のシステムでは、1.女性には生理がある 2.妊娠出産の長期休業期間がある、と言う点で、雇用する上で不利益が多い。同条件の男女であれば、男性をより多く雇用した方が経営上負荷にならないわけであって、ここは総量的な規制をかけるしかない。最終的には従業員の半分、少なくとも3割を女性にしてゆくべきであって、「女性を雇用しないメリット」をいずれの企業にも与えるべきではない。
女性を雇用することが企業に負荷をもたらすから就職において男女格差があるのである。この前提を踏まえないことには対策がたてようがないわけであって、自負心や自尊心から、女性の優秀性や女性を雇用するメリットを言ったところで意味がない。メリットからデメリットを差し引き、それが男性を雇用した場合よりも大きければ、女性労働者は奪い合いになるはずであり、そうなっていないから、女性が労働者として付加価値が低く扱われているのだ。
以前、舛添要一が自分の個人事務所では女性ばかり雇用していると言っていたが、ある一定水準の能力が要求される業務において、男性が応募してこないから女性を雇用していたのであって、能力のある女性の方が、能力のない男性よりも氏の事務所では必要とされていたということであって、能力のある男性と能力のある女性の比較ならば、女性を雇用するメリットはないのである。
ジェンダーならばともかく、生物的な条件は変えようがないのであって、女性を雇用する負担は社会全体、企業全体で負担せざるを得ない。独立した生計能力を女性が獲得する、そのためのインフラを整備するということが女性の自立、女性の市民化ということであって、女性をオンナ子供として扱わないことがこの憲法秩序である以上、女性の市民化に伴う負担は社会全体に課されなければならない。社会全体でその負担を負わないのであれば、それは結局、女性個人の負担になって、生物としての女性性を封印するか、もしくは女性の市民的自立を諦めて家族に依存するしかないのであり、男女平等であれば依存される家族にも依存されない拒絶権があり、また、依存不能な状況が進行して、女性性を封印するという形で矛盾に対応した結果、少子化が進んだのである。
これがつまり専業主婦が、単に生き方の問題ではなく、社会的な問題である理由である。専業主婦の存在が、女性性を封印して矛盾に対応するのでなければ、女性が市民化を諦めて対応するという現実的な選択肢となり、女性性を封印するか女性の市民化を諦めるかの二者択一の構造を温存している。
そうではなく、セックスとしての女性性の負担を個人に負わせるのではなく、社会全体、企業全体で負ってゆくためには、専業主婦と言う存在は女性個人の逃げ道ではなく、男性のみを雇用して利益を最大化させたい企業の逃げ道になっているのであって、これを封じなければ、現代の市民的秩序における男女平等など実現は出来ない。それがなければ少子化対策などやりようもないのである。
出生率が先進国としては回復基調にあるフランスでは、事実上、社会的に専業主婦の存在は容認されていない。これについては女性も覚悟を決めるべきであって、人として扱われたいならば、扶養されていてはいけないのである。キャリアも専業主婦もという恩寵的な日本のフェミニストの姿勢が破綻したのははっきりとしており、女性が自立し、なおかつケアワークが社会化された社会において、専業主婦が占める余地はなく、専業主婦はそうした社会にあって存在そのものが害悪である。