高畑裕太が犯した性犯罪について思うこと

あー、やっちゃったか、というのが周囲の正直な感想だと思う。いつかやりかねないと思ってた、と。
純粋と言えば純粋なんだろうけど、どこか善悪の判断が弱いような、善悪の基準を持っていないような、そういう危うさが彼にはあった。それを愛嬌だけで乗り切ってきた、というのが彼のすごいところなんだけども。
僕は彼には何の同情もないけども、ちょっと普通の人ではないと思う。ここでいう普通でないというのは、障害者寄りではないか、ということだ。母子家庭で育って、母がいて、姉がいて、男の子が一人で、男子として考えても普通は性犯罪には走らないと思う。他の男子がそうなるとしても、彼の立場ならそうはなりにくいと思う。
人間はしょせんは他人は他人だから、まして異性であれば、衝動があれば相手の人格が見えにくくなるということは程度としてはあり得る。でも、母がいて、姉がいて、男として家族を守らないといけない、そういう気持ちになるのが普通だろう。そうならなければならない、という話ではないよ。そうなってしまう、という話だ。女性を、人間として見ることができる、男子としてはそういう立ち位置に彼はいたはずだ。彼の立場だったら性犯罪から母を姉をどうやって守るのかというのがテーマになるはずで、自分が性犯罪を犯すなんてあり得ない。僕は母子家庭の出ではないけれど、母がいて姉がいるので、特に姉は若い時はそこそこ綺麗だったので、わが身を顧みて野獣のような男たちからどう守るかということを気にかけないことはなかった。その眼で他の女の子を見ればその女の子は誰かにとって同じようにかけがえのない娘であり、姉であり、妹であり、とても「モノ」のように扱えるはずがなかった。
母子家庭の末っ子長男ってのはこれまで何人も見てきたけれど、高畑裕太のように、その影響が全く見受けられないというのはかなり特殊な人格だと思う。
そこが危ういな ― と僕は思っていた。
そもそも高畑淳子も売れた時期が遅い。名が知られ始めたのは金八先生くらいからで、高畑裕太はたぶん中学生になるくらいまでは、母親の名前を言っても周囲は誰も知らなかったんじゃないかと思う。だから甘やかされたボンボンというのともちょっと違う、そういう境遇にはなかったはずだけど、それでいて、見事に甘やかされたボンボンにしか見えないというのも、それがいいか悪いかは別にして、相当に特殊には違いない。
そういうことを考えると。
決めつけるのもよくないけれど。
教育とかしつけでどうこうできる代物ではない。人は、子供は、様々だ。教育でどうにかできるなら、犯罪を犯す人なんて一人も出てこない。
高畑裕太という人が、育てるうえでかなり手間がかかる、相当に難しい人であっただろうことは想像できる。
親の責任がどうこう、という前に、これはきっとお母さん相当苦労したんだろうなという感想しか浮かばない。
親の責任で言えば22歳なんだから、まったくないというわけにもいかないだろう。これが30歳とか40歳ならともかく、成人してまだ2年、大学に行っていたら卒業もしていないような年齢、40歳の男が犯罪を犯したのとはわけが違う。
それでも、彼を育てるのはかなり難易度が高い仕事だったろうな、と思う。特に母親一人で。